田島町の中心街を見下ろすかのように愛宕山がそびえ立つ。鴫山城と呼ばれ山全体がひとつの山城になっている。山頂から山腹にかけてが籠城を目的とした当初の鴫山城で、南北朝争乱期から室町中期に築城され、愛宕神社のある山頂からさらに奥に「詰の城」と呼ばれる険しい岩場がある。三角点のある愛宕山までは屏風岩が続き容易に人を近づけない。
また、山腹から麓にかけては内城にあたる城主居館で、戦国時代と桃山時代に築城されたと言われている。大門(大手門)の見事な石垣や空堀、上千畳、下千畳と呼ばれる武者溜りや侍屋敷、根小屋跡など見事なまでにその形を残している。
車を田島町役場の駐車場に置かせてもらい出発する。コースは2万5千分の1地形図に道の記載のある田島保育所のところから登りはじめることにする。役場から南に進み、鴫山城址遊歩道案内図のところから入り、保育所の脇をすり抜け鳥居をくぐる。10分ほど登ったろうか、八幡神社に着く。道は神社の左に付いている。ヒノキ林を抜け廻りがアカマツ林に変わる。歩いているこの道は、東外壁塁である。西外壁塁と対を成すものである。右から道を合わせると木の階段を登り尾根に出るとアカマツの林に出る。御茶屋場跡で大門からの道を合わせる。ここまで20分ほどで登ってこれる。さらに10分ほど登って行き石段をあがると仁王門に着く。立派なものである。さらに進むと愛宕神社に着く。
愛宕神社は鴫山城山城の本丸にあたり軍旗を祀ったところである。岩盤を削って平場を作り建てられたもので屋根はカヤ葺き、西側は岩場で切れ落ちている。この先、南に派生する尾根は、籠城時の逃げ道「搦手(からめて)」の役割を持ち詰の城と呼ばれている。尾根は三角点のある愛宕山に続いているが、屏風岩状に両側が切れ落ち「立入禁止」になっている。
慎重に先に進む。ひとつ目の岩峰に登ると田島の平野部が一望できる。田島の町の中にこんな所があったとは感動ものである。2つ目の岩峰までは何とか行けたが、その先に進むには岩場を下らなければならない。ザイルを持ってこなかったので無理をしないで戻ることにした。案内板では愛宕神社のピークが愛宕山とされている。
愛宕神社まで戻り、御茶屋場跡から大手口を目指す。つづら折れに降りていくと御台清水に出、麓の城郭跡に出る。鴫山城址の大門は大手門とも呼ばれ空堀と合わせ、山城のものとしてはなかなかのものである。山に登らなくとも一見に値する。車を置いてきた田島町役場に戻ったのは18時少し前だった。いずれ、搦手虎口「土門」跡や矢倉台跡のある西外壁塁を登って、愛宕山の三角点峰まで行ってみたい。(I.I)
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