半田山は江戸時代から、半田銀山として栄え、沼についても多くの伝説があるようだが、ちょっと違った史実を記することにする。 明治33年6月に山頂一帯に亀裂が生じ、その後陥没、地すべりを繰り返して、伝説にもある旧沼が乾燥して、現在の新沼が形成され、その後明治43年8月の豪雨で新沼が決潰しその土石流は現在の東北本線あたりまで被害がおよび、大正4年より地盤保護工事が始まった。これが福島県における治山工事の出発点となり、工事は昭和45年までつづけられていた。昭和50年代には入り林野庁の補助事業により公園や施設が整備されたところである。
管理センターの駐車場で身支度を整え林道を挟んだ向かい側のバンガロー棟があるキャンプ場の中を通り、右側の隅に行くと登山路がある。 最初スギ林の中をジグザグに登って行くといつしかアカマツとナラの木の混交林となり小アップダウンを繰り返すと産ケ沢林道に飛び出す。
林道を歩いて先を進めると牧場への分岐となり右折するとすぐ山上駐車場のある登山口となり、東屋が見えてくる。
東屋で一服後先を進める、登山道は1〜2mくらいの幅があり、結構あるきやすいが、道はだんだんと急登となり、山頂まで700m、600mと100mピッチで案内板が出てくるが、時としては余計なお世話とも感じながら行くと唯一の半田沼のビューポイントとなる。
山頂まで300mとなったところから急登から開放されほどなく一等三角点のある山頂にたどり着く。 山頂には石の祠が3つ祀られている。 東方面の霊山などの遠望はあるが、そのほかはダメである。 小休止ご反対側を下山する。 最初は緩やかな下りであるが急なジグザグの下りと変わってくる。 下りも飽きてきたころ展望台になるが、展望台からの眺めはまるで無しであり、程なく出発点につながる南半田赤坂林道に飛び出す。
半田沼の湖畔を半周して出発点の管理センター到着となる。 (S.O)
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