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No.____ |
信夫山・羽山 |
267.3m四等三角点峰(点名・烏ヶ崎) |
山行種別 |
無雪期一般 |
しのぶやま・はやま |
地形図 |
福島北部 |
山行期間 |
2011年5月31日(火) |
コースタイム |
県立美術館駐車場(11:47)→森合配水池(11:55)→烏ヶ崎展望デッキ(12:16,12:31)→南外周道路(12:55)→三十三観音(13:00)→慰霊碑(13:06)→県立美術館駐車場(13:17) |
写真 |
写真は拡大して見ることが出来ます |
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福島県立美術館・図書館 |
福島交通道端2号踏切 |
地図を片手に進む |
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森合配水池の入口 |
配水池への階段 |
フェンスは左へ移動 |
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フェンスの角から山道へ |
踏跡もしっかりしている |
岩の間を縫うように登る |
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烏ヶ崎展望デッキからは福島市街を一望できる |
烏ヶ崎の説明板 |
点の記の点名「烏ヶ崎」四等三角点ヤブの中にある |
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湯殿神社 |
標識も整備されている |
月山神社 |
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羽山廃寺跡は月山駐車場になっている |
羽山廃寺跡の説明板 |
第四中学校へ下るコース標識 |
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座禅石 |
四中への下山路 |
南外周道路 |
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文久年間に建立されたと言われる信夫山西国三十三観音 |
湧井戸から踏跡に沿って点在する |
東北新幹線建設工事慰霊碑 |
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新幹線信夫山トンネルの上は広場になっている |
新幹線脇の二十四地蔵(すわり地蔵?) |
月山神社参道入口になる養山大清水 |
行動記録 |
身近にありながら、なかなか登れないのが信夫山である。古くは青葉山とも呼ばれ、麓では御山とも呼んで町名にもなっている。いろいろな呼び名があっても福島市民にとってはふるさとの山「信夫山」である。信夫山は三つの峰が連なる。西から湯殿神社のある「羽山」、羽黒神社のある「羽黒山」、それに東方に位置する「熊野山」である。そのうち三角点を持つのは羽山(点の記「烏ヶ崎」)と熊野山(点の記「信夫山」)で、青葉山薬王寺の裏山である寺山(点の記「薬王寺」)にもう一つの三角点がある。
子供の頃に第四小学校に通っていたこともあって毎日のように信夫山で遊び、高校時代はトレーニングで走り回った思い出の山である。まずは羽山に登って見ることにした。
出発点は福島県立美術館の駐車場、かつての福島大学経済学部の跡地で子供の頃の遊び場でもある。移動手段である自転車を自転車置場へ駐めて時計回りに歩き出すことにした。福島交通飯坂線の線路脇を進み、道端2号踏切、JR小松原踏切を左に見て直進すると道は信夫山南外周道路と森合配水池への道とに分かれる。ここも直進すると踏切の手前右側に急なコンクリートの階段が見える。ここが今日の登山口になる。
配水池への急な階段を登りきると「森合配水池」に着く。フェンスの外周を左に進みフェンスの角のところから踏跡へ入る。以前は本当の踏跡程度だったが、今では登る人も多く道はしっかりしている。山田から踏跡を合わせ、日向山の稜線をのんびりと登って行く。やがて烏ヶ崎への急坂が待っている。踏跡は岩の間を縫うようについている。林を抜けると、いっぺんに視界が広がる。ここが烏ヶ崎展望デッキだ。見晴らしは最高で、福島市街を眼下に見ることが出来る。当然、吾妻、安達太良、阿武隈山系の山々が目の前に広がり、すばらしい眺めを楽しむことが出来る。
羽山にある四等三角点は、湯殿神社へ向かう道の途中、左に少し入った所にある。現在の湯殿神社の社殿は昭和59年に鉄筋コンクリートで造られたものだ。そこに以前の面影はない。車の通れる道を嫌い、踏跡をたどって月山神社へ抜ける。月山神社から参道を少し下がるとトイレも整備された月山駐車場へと出る。
ここは堂平と呼ばれ羽山廃寺跡とされている。ここまでは護国神社のところから車でも登ってくることができる。案内標識に導かれて「第四中学校」への道を下る。すぐに「座禅石」が左側にあり、近くには羽山の古井戸もある。第四中学校へ下るコースは昔の養山登拝路で、座禅石から急斜面の下りになる。
南外周道路に出たら右に折れ、しばらく行くと三十三観音である。道路から右上の踏跡を少し登ると三十三観音が点在するので寄り道をしてみよう。道路の反対側の左に下る道があり、こちらが新幹線の脇を通って養山清水に出る道である。下山路の途中にも三十三観音はある。
東北新幹線の信夫山トンネルの上には広場があって、「東北新幹線建設工事慰霊碑」がある。東北新幹線は1971年秋に着工し、10年半の歳月をかけ1982年に大宮〜盛岡間が暫定開業した。この間、亡くなった人は103名にもおよんだ。殉職や労災事故が当たり前にあった時代だった。当時の国鉄総裁は高木文雄氏、国鉄は5年後の1987年に分割民営化されてJRと名称を変え、東北新幹線が東京まで開業したのは1991年6月であった。
新幹線の脇のコンクリートの階段脇には二十四地蔵があり、赤い毛糸で編んだケープがかけられ帽子がかぶせられていた。少し住宅地に戻ると、月山神社参道入口となる養山大清水がある。以前は冷たいきれいな水が渾々と湧きだしていたが、今では水脈が変わってしまい、どんよりと濁っていた。ここから新幹線の下をくぐり図書館の構内を通って美術館の駐車場に戻るには10分とかからない。(I.I) |
概念図 |
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トラック |
登り=赤 下り=青 |
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