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No.6275 |
愛宕森(小手森城址) |
464.0m四等三角点峰 |
山行種別 無雪期一般 |
あたごもり(おてのもりじょうし、おでもりじょうし) |
地形図 |
山行期間 |
2020年2月28日(金) |
コースタイム |
愛宕神社参道入口(14:09)→愛宕森・愛宕神社(14:20,14:27)→常盤神社(14:32)→愛宕神社参道入口(14:43) |
写真 |
写真は拡大して見ることが出来ます |
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村社愛宕神社参道入口 |
参道を真っ直ぐに登っていく |
道路を横切る |
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小さな石碑 |
中腹から山頂まで続く石段 |
途中に常盤神社の案内板がある |
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最後の石段を登って愛宕神社へ |
「悲劇の小手森城」の説明板 |
神社の脇にある四等三角点 |
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一段下がったところにある庚申塔群 |
百庚申の案内板 |
常盤神社 |
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舗装路を歩いて愛宕神社の参道へ戻る |
フクジュソウが花を付けていた |
鳥居を潜って参道入口に戻る |
行動記録 |
旧東和町の国道349号に「小手森城址」の大きな案内板があ。地形図には愛宕森とあり山頂には四等三角点がある。この小手森城は戦国時代に岩代町にあった大内定綱が城主の小浜城の支城で、この城を守っていたいたのは家臣の菊池顕綱であった。天正13年(1585年)に伊達政宗の攻撃により落城、政宗は兵と共に城にこもった農民の老若男女を合わせ800余名のすべてを斬り殺したとある。その後伊達政宗から功績を認められ小手森城を与えられた石川弾正は、天正16年(1588年)伊達政宗に反旗を翻し、小手森城は再度伊達政宗に攻撃され落城、500余名が討ち取られたという。この悲惨な歴史は「小手森城の撫で切り」として語り継がれている。これ以降は小手森城が史料に表れることはなく、廃城になったといわれている。今は山頂に村社愛宕神社が祀られ、北東側に一段下がったところに供養塔などの石塔群がある。なお、いまでも山城の石垣や郭などが残っている。
愛宕神社の参道入口に車1台ほどの駐車スペースがあるので、止めさせてもらい登る事にした。鳥居を潜り山頂まで一直線に伸びる参道を登っていく。途中にはフクジュソウが花を付けていた。参道は一旦舗装路を横切り、さらに登っていく。やがて参道は石段に変わり高度を上げ、山頂の愛宕神社に着く。標高差は100mほどで10分ちょっとで登る事が出来る。供養塔(案内板によると庚申塔群)に寄ってから下りは常盤神社を経由して戻ることにした。石段を下り案内板に導かれて左に入る。すぐに百庚申の案内板があるが周りに供養塔は見当たらない。急斜面を分け入ったところにあるのだろうか。更に進むとスギ林に囲まれた常盤神社がある。神社から階段を数段下がると山腹を通る舗装路に出るので、舗装路を歩いて愛宕神社の参道まで戻り、鳥居のある車を置いてきた参道入口へと下った。(和) |
空間放射線量 |
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観測地点/特徴 |
標高 |
時間 |
最大値 |
最小値 |
平均値 |
緯度/経度 |
data1 |
愛宕神社参道入口/草 |
370m |
14時08分 |
0.204 |
0.194 |
0.199 |
37゚35'22.11"/140゚34'55.64" |
data2 |
愛宕山・三角点/スギ、草 |
464m |
14時22分 |
0.172 |
0.164 |
0.167 |
37゚35'29.77"/140゚35'01.30" |
data3 |
参道入口・鳥居下/草 |
370m |
14時42分 |
0.255 |
0.248 |
0.253 |
37゚35'22.89"/140゚34'55.94" |
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緯度経度はGPSの性能の関係で多少の誤差があります。/放射線測定器 PA-1100(堀場製作所)/標高については国土地理院地図に表記のあるものについてはその数値、無いものについては電子web地図で表示するおおよその数値を掲載しています。
行動中の積算被ばく量 0.113μSv/h |
概念図 |
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トラック |
往路=赤 復路=青 |
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