要害山は只見町と金山町横田にあることは良く知られているが、金山町の大塩にあることは知られていない。以前(2002.8.18)近くにある袖山へ登った時に尾根沿いにある三角点峰が要害山であるので、今度登ってみると良いと地元の方から教えていただいた。
袖山へ登った時に地形図には点線記号がついているので、帰りに行ってみたが、道が分からなかったので次回とした。家に帰り要害山のことについていろいろと調べたがそれらしい資料は無かったが、三角点の所在場所を含めの南側の面は字名が大字大塩字要害となっており、地元の人からすれば要害山と言うことなのかも知れない。その後、会津横田の要害山へ行った時(2005.7.31)に訪れ、地形図にある大塩の神社から取りついて登ってみたが、神社の裏手よりしばらく行くと山道が忽然と消えてしまい、戻ったことがある。
今回は只見町の要害山を登ってからの帰路の途中、原新田から付いている点線を偵察してみた。山裾に用水路が流れていて、行ってみると山道とは思えぬほど整備された作業歩道がある。今度こそと急いで身支度を整えて登りにかかる。
山道は刈り払いされて、スギ林の中の登りとなる。里山の山仕事用の道なのか気持ちの良い登りとなる。スギ林はいつしかカラマツ林となるが、山道の状況は下から同じで良く整備されている。ところが標高の470m、点線記号が曲がる付近でまたしても山道が忽然と消える。
周辺を探索したが山道は見つからない。左手に微かな踏跡はあるが、沢の水場への道で、またしても行き詰まってしまった。しかし、右手には頂上より延びてくる尾根が見え、藪もたいしたことはなさそうなので、尾根に取付いて登ってみることにした。所々にビニールテープの捲かれた木があり、わたしたちみたいな登りをする人が他にもいるものだと思いながら急斜面を登って行く。尾根に取付くと木は生えているが踏跡の名残が見受けられる。ほどなく山頂となる。名前の由来なのか山頂部はやはり平坦地になっていて、山城の跡なのか定かでないが明らかに人の手が加わった形跡がある。
展望は無く、来た道を戻る。今日は只見町の要害山と5年越しの大塩の要害山登頂に満足する。もう一座北塩原村北山にも地形図に要害山と記された山があるが、機会をみて訪れてみたい(S.O)
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