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No.4553
迷沢右俣
安達太良山・高森川
山行種別 無雪期沢登り
うばまよいさわみぎまた 地形図

トップ沢登り>迷沢右俣

山行期間 2011年10月2日(日)
コースタイム 新岩弓橋付近(6:37)→仏沢(6:41)→迷沢入渓(6:45)→3mナメ滝(6:52)→10m滝(8:19)→6m滝(9:05)→4mナメ滝(9:19)→12m斜滝(9:23)→二俣(9:40,10:00)→20m滝(10:05〜11:05)→30m滝(11:10〜12:50)→休憩→奥の二俣(13:20)→大岩(13:29〜13:57)→ヤブこぎ→登山道(16:20)→沼尻登山口(18:28)
写真 写真は拡大してみることが出来ます
高森川にかかる新岩弓橋からスタート 入山口の注意看板 仏沢の橋
迷沢に入渓 ナメが続く 6m斜滝
3段10m滝 6m滝 4m幅広ナメ滝

わかりにくい二俣
ナメ状の12m斜滝 左俣の20m滝
右俣20m滝 上部は草付きを登る 30m滝
右から高巻く 落ち口からの眺め(秋元湖が見える)高度を一気に100m上げる わかりにくい奥の二俣
岩の下に入っていく 岩の迷路(ストロボ撮影) さらに岩の奥へと
背丈以上あるヤブをこぐ もう一頑張り 稜線の登山道

行動記録
 10月1日・2日は今回のメンバー3人で巻機山の米子沢の予定だった。しかしどうも天気が思わしくない。週間予報では雨の確率が高く気温も低いようで、毎日チェックしていたが好転の兆しはなかった。そんなわけで2日前に米子沢を諦め、近場の迷沢に行くことになった。
 迷沢は安達太良の鉄山北西斜面を源とする沢だが、上流で何本にも分岐し明りょうな主流を持たない沢のようだ。同行のKさんは8月に迷沢に入っているが、そのときは右俣に入ろうとして誤って左俣へ入ってしまい、雷にも遭い行動時間も長くなるなど大変だったようだ。そんなこともありKさんは迷沢リベンジを考えていた。Iさんは36年前の1975年に、迷沢の右俣を登っていて記録が残っている。その後もう1度登ったらしいが、いずれにしても30年以上前の話になる。36年前のIさんはまだ20代の青年。当時はロープもヘルメットも無く、わらじを履いて3人パーティーで登った。記録によると入渓から稜線の登山道まで、5時間で遡行を完了している。現在の我々は沢シューズにヘルメットやロープはもちろん、GPSまで持っているのは時代というものだろう。私は迷沢の沢登りは初めてとなるが、山スキーでこの山域を滑ることもあり沢を詰めてみたいと思っていたので、ちょうどいいタイミングとなった。ところでネットで迷沢の沢登りを検索してもヒットするのは会の記録しかなく、他にはまったく見あたらない。
 前夜に沼尻登山口の駐車スペースで、ほぼ一緒に到着した他の2人と合流。テントの中で軽く入山祝いをする。気温が下がってきたところに、アルコールが程よく体を温めてくれる。翌日Iさんの車を登山口にデポし、私の車で高森川に架かる国道115号の新岩弓橋へ移動する。入山口の注意看板の文面が、「迷い沢は魔の山」と脅かしている。この辺りは山菜、特にネマガリタケ(ジダケ)がたくさん取れる山域で、夢中になって歩いていると迷ってしまうこともあるのだろう。歩き出してすぐ頼りない橋が架かる仏沢を渡り、そのすぐ次の沢が迷沢だ。道はそのまま沢に降り入渓点になる。今年2月の山スキーの際にも渡った箇所だ。
 入渓してすぐナメになる。まだ紅葉には早いが、木々の紅葉が進めば、赤や黄色の葉がナメ床を引き立てることだろう。ナメ滝3mを越えてもナメは続いたが、やがて平凡なゴーロに変わる。この時期に迷沢を沢登りするのは我々くらいのものだろうが、1年を通してもはたしているかどうかだ。ふと沢の石が水流に触れる部分だけ白っぽい茶色になっていることに気づく。温泉成分でも支流から入っているのかもしれない。歩いていくといつしか石は元の色に戻っていた。3mと6mの斜滝を続けて越えると、釜のある幅広い3段10m滝が現れた。この滝は左右どちらからでも登ることができる。6m2段のナメ滝を越え、次の6m滝を過ぎると右から枝沢が合わさる。4m幅広ナメ滝の次はナメ状の12m斜滝。またナメが続くようになり3mナメ滝を越え左から枝沢を合わせる。
 沢は勾配を増し高度を稼いでいくようになる。水流が細くなり沢の岩に苔が多くなってくると、やがて水流が途切れがちになりついに伏流となる。左から涸れ沢が合わさるような箇所に来たのでここが二俣かと思ったが、実はもう少し登ると左俣が滝となって落ちていた。Iさんによると以前は、現在のように岩が積み重なった感じではなく沢床が見えていて、先ほどの涸れ沢の地点で左から枝沢が合わさっていたという。30年以上の歳月は、沢の流れや形状を変化させてしまったようだ。現在はおそらく崩れた岩で埋まって伏流となってしまったので、二俣とは分かり難い地形に変化したのではないだろうか。二俣が現れるとばかり思っていると、うっかり通り過ぎてしまうかもしれない。Kさんが来たときもこの地点で判断に迷い、右俣に入ろうとして左俣の滝を高巻いたという。確認のため左俣の滝に近づくと垂直に近い直瀑で直登はどうかと思われたが、Iさんによると可能らしい。
 二俣で小休憩してから再び登り始め、前方を見上げると壁が見える。滝か?と思い近づくと岩壁が眼前に立ちはだかり、そこを少ない水流が伝い落ちている。高さ20mはあろうか。Iさんの記憶ではその当時フリーで岩をよじ登ったというが、今見るととても信じられない。私がトップをやらせてもらい、50mのロープを付けて左から登り始める。滝身左の岩を登りハーケンでランニングビレイを2箇所取り中程まで登るが、岩が滑りやすそうでそれ以上直上できなくなり、やむなく左の草付きに逃げる。泥壁に手足を突っ込み頼りないブッシュにランニングビレイを2箇所取る。本当はもう一度右に移動して滝身に出ようとしたが、どうにも岩が悪く断念する。ブッシュの間を強引に体を引き上げ、なんとか滝の落ち口まで登ることができた。続く2人を確保して登ってきてもらうが、この滝の処理に1時間かかってしまった。当時のI青年はこの滝の登攀に対して、記録にさほど気負った表現をしていない。若いということはそういうことなのだなと、私とKさんのみならずIさん自身も若かった自分に対して感嘆するしかなかった。それにしても現代において、我々の他にこの辺りまで登ってこようとするものがいるだろうか。ここから先に人が踏み込むのは、おそらく30年以上ぶりかもしれないと思えた。
 急勾配の涸れ沢を登っていくとまた岩壁が現れ、これが以前の記録にもある30m滝だ。見ると中ほどまでは何とか登れそうだが、その後が垂壁で直登はまったく無理に見える。ハーケンやボルトを連打すれば登られようが、それは我々の目指すところの沢登りではない。左岸から巻くことにしたが、これがまた結構厳しい巻きとなった。Kさんが取り付きをショルダーで越えて急斜面をロープを延ばしていき、後続がつるべで3度ロープを延ばした。ヤブをこいでやっと滝上あたりに来たようなので、ブッシュ頼みで下降すると、ドンピシャで落ち口のすぐ上に降りることができた。ここの巻きでは1時間40分もかかったが、3人パーティーでロープを出したので仕方がないだろう。ここもまた当時のI青年はブッシュに掴まりながら巻き、滝の中段に出てから残りを直登したようだ。なんともはやである。眺めの良いこの落ち口で昼食休憩とした。
 水流がないので奥の二俣もまたわかりにくい。当時のI青年は左俣へ進んだようだが、今日は6mの涸れ滝で合わさる右俣へ進むことにした。右俣を登り、狭い岩の間の通路状を抜けると、突然大岩が立ちはだかった。どうやって登るのかと思ったら、Iさんが岩の下に潜っていくので後を追う。大岩が折り重なりできた狭い隙間を、右に左に上に下にすり抜けていく。岩に押しつぶされそうな圧迫感があり、まるで迷路だ。頭上が開けたが、それでもまだ岩の間の隙間だ。上に行くにはさらに3mほどの岩壁を上がらなければならないのだが、あちこち突破口を探しても垂直あるいはハング気味の岩はショルダーで取り付くことも難しい。左沢にもこの岩の迷路はあるらしいが、その当時のI青年は岩の隙間を突っ張って登ったらしい。我々も突っ張れるかと思われた隙間は、狭すぎて何度もやってみたが登れなかった。ロープを付けたハンマーを投げようとも考えたが、引っかけられそうな適当な枝もない。いやはや困ったなと思ったが、高さ2.5mほどの岩に、横から差し渡すように乗っている枝が目に付いた。これだと思いこの枝に長短2本のシュリンゲを掛けて足を入れ、枝に登ると岩に乗り移ることができた。後の2人は岩から下げたロープにシュリンゲで足がかりを作り、先にザックを上げてから空身で登った。やれやれやっと突破することができたが、ここでも30分近く要してしまった。
 大岩を越えると沢は平坦になったが、枝が被ってきて徐々にヤブが濃くなってくる。左岸に草原を見つけ上がってみたりするが、それも続かずすぐヤブになるので沢の方がまだましと戻る。残りは稜線の登山道まで詰めるだけなのだが、ヤブで遅々として進まないうえにガスってきた。気温も低くなり、ついには雨もパラついてきた。枝の下をくぐりササをかき分け、時には這ったり左右を巻いたりしながら登っていく。ヤブを漕ぐと表現するが、まさしくその通り腕で左右にかき分けながらでないと進めない。時間ばかり過ぎるがさっぱり距離を稼げない。途中で時計を見ると既に午後3時近く。午後4時には登山道に出ないと下山が厳しくなってくる。カッパを着ているとはいえ、中も濡れているので寒さを感じてきた。ガスで見えない稜線を目指してヤブこぎを続け、3人ともなんとか登山道に出ることができたのは午後4時20分だった。ヤブこぎになってから2時間以上が経過していた。
 稜線は強い風が吹いていたので、5度以下と思われる気温に濡れた体では、体感温度はマイナスだろう。低体温症も心配になり、すぐ登山道で下山を始める。沼尻温泉の湯の花採取のためと思われる小屋の辺りで、ついにヘッデンを点けての行動となる。吐く息が白くなる気温でかじかむ手を、送湯管に当てて暖める。あちこち崩れた道を歩き、作業用の頼りない橋を渡りやっと登山口にたどり着いたのは午後6時28分。今日はほぼ12時間の行動となってしまい、久しぶりのハードな沢登りとなった。入渓から稜線の登山道までは9時間30分以上かかり、その当時のI青年が5時間なのと比べると、ルートが少し違うとはいえつくづく若さとは凄いものだと思う。しかし今日の我々は時間がかかったとはいえ、平均年齢54歳で迷沢を歩き通したのだからまんざらでもあるまい。それにしても迷沢はその名のとおり、まさに迷い沢だった。(K.K)

溯行図
作図:和

トラック 登り=赤  下り=青



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