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Fukushimatoukoukai HomePage
No.3629
エルブルース ロシアカフカス(コーカサス山脈)5642m
山行種別 積雪期一般
えるぶるーす 地形図


■山行期間 2003年7月25日〜8月5日
■コースタイム
7月25日 福島駅→上野   上野泊
7月26日 京成上野駅 8:09 → 成田空港 9:13
成田(SU582)12:00→モスクワ(シェレメチェボ空港)17:25到着後、ガイドと市内ホテルへ
ROSSIYA HOTEL (ロシア・ホテル)
7月27日 (国内線(SU703)でミン・ボディ空港へ、その後車でテレスコルへ移動) モスクワ7:45→ミン・ボディ 10:15→テレスコル 16:00 テレスコル・標高2100m(VOLFRAM HOTEL)
7月28日 高所順応 テレスコル → ガラバシ小屋(標高3800m)→ 4000m地点 → テレスコル テレスコル2100m(ウォルフォーム ホテル)
7月29日 高所順応 テレスコル → ガラパシ小屋→11番小屋(標高4157m)→ ガラバシ小屋 ガラバシ小屋(標高3800m)
7月30日 ガイドと高所順応 ガラバシ小屋→パスツーコフ岩(標高4700m) → ガラバシ小屋 ガラバシ小屋(標高3800m)
7月31日 エルブルース登山 5642m (ガラバシ小屋 → パスツーコフ岩 → エルブルース → ガラバシ小屋) ガラバシ小屋(標高3800m)
8月1日 ガラバシ小屋からテレスコルへ下山 テレスコル2100m(ウォルフォーム ホテル)
8月2日 チゲット山ハイキング テレスコル2100m(ウォルフォーム ホテル)
8月3日 テレスコル 6:00 → ミン・ボディ(SU704) 12:25 →モスクワ 14:55 ROSSIYA HOTEL (ロシア・ホテル)
8月4日 夕方モスクワ発(午前中モスクワ市内観光)SU 583 19:25→ 機中泊
8月5日 →成田 10:00 → 福島 15:00
■写真・行動記録

7月26日 成田12:00→モスクワ(シェレメチェボ空港)17:25→ロシアホテル19:30
 成田空港でガイドのNさんと他の6人の今回のツアーのメンバーと合流する。土砂降りの雨で出発が遅れたもののアエロフロート機582便で成田を出発。映画を見ようとしたら機械が壊れていてイヤホーンから音が出ない。ロシアの経済状態では仕方がないかと思ったもののこれが、ロシアに対する悪印象の始まりだとは思わなかった。モスクワのシェレメチェボ゙空港到着後、入国審査に向かうが今回のツアー主催の会社が用意した入国カードは使えないと言われ慌てて現地で用紙に記入する。荷物をターンテーブルで受け取り、税関申告は特にないのでそのまま外に出て、モスクワのガイドと合流する。ロシアホテルは5000人を収容できる大規模なホテルで、部屋からはクレムリン、赤の広場、聖ワシリー寺院が見える。ホテルのチェックインにも従業員の官僚的な態度で時間がかかり閉口する。ここはソビエト時代共産党大会に参加する人が泊った歴史のあるホテルらしいが、モスクワにもサービスの良い民間のホテルができたために近い将来壊されることになっていることを帰国後、日本の新聞で読んで納得する。 

7月27日  ロシアホテル5:00→シェレメチェボ空港6:00/7:45→ミン・ボディ10:15→テレスコル16:30
晴れ
 ホテルを早朝に立ちマクドナルドで朝食の予定であったが、店は掃除中とのことで入れず、空港のカフェでサンドイッチと飲物で済ます。ミンボディへの搭乗手続きでは、機内持ち込みと預ける荷物の合計重量でツアーガイドのNさんと女性陣が追加料金を取られる。ミンボディ空港ではテロの影響か敷地内は写真撮影が全面的に禁止となっている。
 空港で今回の登山ガイドのイリーナと合流し、ワゴン車に乗りテレスコルへと向かう。途中のカフェで昼食を食べ、テレスコルの手前の町でイリーナが入山の手続きをする。テレスコルのホテルはシャワーは17時以降しか使えないが、こぎれいなホテルであった。もっともタオルもバスタオルも帰るときまで交換されないのにはがっかりしたがロシアだからしょうがないと思って諦めた。
 レストランにはアルコールが置いてなく、ホテルのバーで買ったビールを持ち込んで乾杯する。

リフトから見たミール駅(ロープ
ウェー最終駅)
ガラパシ小屋から見たエルブル
ース
ガラパシ小屋の中 ガラパシ小屋の夕食

7月28日 アザウステーション 9:30 → ミールステーション 10:30/11:00 →ガラパシ小屋11:50 → 3980m付近 14:32 → ガラパシ小屋15:20 →リフト→ミールステーション15:43 → アザウステーション16:10
晴れ
 今日は高度順応のためガラパシ小屋までの往復ということで、ゆっくりの出発。ロープウェーは麓の駅がアザウステーションで中間駅で乗り換え、最終駅が平和を意味するミールステーションと名付けられている。ミールステーションからは高度順応のためリフトを使わずガラパシ小屋まで歩く。ガラパシ小屋は鉄できた円筒形を倒したような建物(ベットは6台)が9棟並んで立っており、別の宿泊施設や食堂、トイレ、雪上車をしまう小屋などがあり、かなりの人数が滞在できるようになっている。当初の予定ではここまでのはずであったが、高度順応のためにはもう少し上まで歩いた方が良いというガイドの意見が出され、ほぼ雪上車のトレースの跡に沿って11番小屋のすぐ下の3980m地点まで登る。ここで、エルブルースや11番小屋をバックに記念写真を撮り下山、麓のロープウェー駅(アザウステーション)の近くの食堂で17時頃の遅い昼食を食べる。昼食までの空腹と帰って直ぐホテルの夕食となったため食事があまり食べられなかったことについてメンバーから不満が出される。
 なお、ミール駅を降りた地点でNさんがパルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度(SpO2)を測ったところ全員特に問題はなかった。ガイドよりゆっくりとしたスピードでと言われ、歩き始めるが息苦しさを訴えるメンバーもいた。私自身は4000m地点までは何となく空気の薄さを感じるような気はしたが、このペースで歩くことについては息苦しさも頭痛も感じなかったので高度順応はうまくいきそうな気がした。

 
11番小屋 脈を測るガイドと燃えた旧11番
小屋
7月29日 アザウステーション 11:00 → ミールステーション 11:37/12:30 →リフト→ガラパシ小屋12:50/14:05 → 11番小屋 15:43/16:10 → ガラパシ小屋 16:50
晴れ
 今日はホテルからガラパシ小屋へ移動し、11番小屋までの高度順化を行なう予定で出発するが、リフトが動くのに時間がかかり、ガラパシ小屋への到着時刻は早くはならなかった。ゆっくりとしたペースで新しい11番小屋まで行き、ドクターでもあるガイドのイリーナが全員の脈をNさんがパルスオキシメーターを測るが、全員ここまでは問題は無いようであった。直ぐ上の燃えた旧11番小屋の跡は一部はテン場となり陰の方はトイレとなりひどい状況とのこと。 この日の高度順応でも痛めている膝も含め、私自身は特に問題もなかった。但し、昨日Nさんからイリーナに話しがなされにも関わらず、今日も帰りの時間が遅くなり、昼食が夕方になったことについて不満が出された。スケジュールや時間の管理といった概念があまり無いように感じられた。夕食前には雨が落ちてきて雷が鳴り、雹が降ったが直ぐにやみ、きれいな夕焼けが見られた。


7月30日 ガラパシ小屋 9:00 → オベリスク10:48/11:00 → 4400m付近12:00/12:20 →パースコフ岩上部(4690m付近)14:15/14:25 → 11番小屋15:20/15:35→ガラパシ小屋 15:57
晴れ
 3800m地点にあるというガラパシ小屋に寝ても、特に高度障害は現れない。夜中に起きると少し欠けてはいるものの月が大変きれいであった。また、朝日が当たり紅く染まったエルブルースと対岸のゴングゾルムなどの山々もなかなかのものであった。
 今日は、4600m付近にあるパースコフ岩が目標であるが、高度順応のためゆっくりと歩く。11番小屋よりだいぶ東側によって登ったところ、途中には記念碑みたいのがあり、イリーナによればオベリスクと呼んでいた。さすがにこのあたりからは高度の影響か息が荒くなり足も上がらなくなる。大きく呼吸をしながら登って行くと14時過ぎにパースコフ岩に到着し、帰りは雪上車の跡に沿って11番小屋に出て昨日と同じルートを下り、夕方に小屋に着く。メンバーからは、翌日の早朝出発を考えれば、もっと早く小屋に戻れる日程を組むべきだったのではないかという意見も出ていた。時間に関する考え方はかなりルーズな気がした。
 夕食時にイリーナに加えてもう1人のガイドとプライベートガイド2人の紹介がなされた。明日はプライベートガイドを雇った2人を除いて5人に2人のガイドが付くことになる。
中央に見えるエルブルース西峰
に朝日があたる
斜面のトラバース、先の鞍部が
サドル
サドルから振り返って、登ってき
たトラバースルートを見る
朝日があたり出来たエルブルー
スの影
平坦地に出ると山頂が見えて
くるが結構距離はある
エルブルース山頂にて
7月31日 起床 1:30=ガラパシ小屋 3:00 →雪上車の終点(4400m)付近 3:45 → パースコフ岩 4:20 → サドル 8:45/9:15 → エルブルース山頂 12:20 →サドル 13:30/13:55 → パースコフ岩 16:20/16:40 →雪上車→ガラパシ小屋 17:30
晴れ
 今日も満月に近い月がはっきり出て、晴天が予想される。気合いを入れて出かける準備をし、朝食を済ませる。雪上車で一気にパースコフ岩から150mぐらい下まで運ばれ登り始める。プライベートのガイドを雇った2人はゆっくり登るということで、他の5人が一緒に歩くことになる。
 月明かりの中、ヘッドランプを点けてやや急な斜面を登り出す。日が昇り始めると朝日を浴びたエルブルースの影が雲に写りなんとも言えない景色である。キリマンジャロも登ったことがあるというNさんが、4900mぐらいから足が上がらなくなり、広い斜面を登ってサドルに続くトラバースにかかったあたりからみんなに遅れ始める。一方、最高齢のHさんは快調に登っていく。サドルに着いて大休止をとり、今後の日程について打ち合わせをする。このペースだと山頂に着くのが11時を過ぎるため、山頂を目指すのであれば下りの時間が遅れることを想定し、雪上車を呼ぶことが必要である旨ガイドより説明があり、費用も含め参加者の同意を求められる。
 休憩の後、HさんとNさんのみアンザイレンし、不要な荷物をデポした上アイゼンを付けてトラバース気味に登っていくが、相変わらずNさんのペースは上がらず10歩歩いては数分休むといったパターンで登り続ける。それでもみんなの励ましで急な斜面を登り切ると平坦なところに出る、しばらくは山頂も見えず先行者のトレースに沿って歩くガイドの背を見ながら、先行したHさんとガイド以外のメンバーで一緒に歩いて行くと前方に少し高くなっている山頂が見えてくる。山頂は360度の展望がすばらしく、1時間近くも待ったというHさんは寒そうであったが、みんなで記念写真を撮る。特にこれといった困難さは無かったが、去年のピスコに続き5500mを超える山に登れたという喜びに少しの間浸る。
 サドルから山頂手前の斜面までのトラバースでは滑落して怪我をした人がいるという話しを聞いていたので下りはロープをつけるのだと思っていたが、アンザイレンされたのはHさんとNさんのみであった。私は?と聞いたところお前には必要ないと言われた。同じ料金を支払っているはずだが?ともあれ、午後になりアイゼンに腐った雪が着くのでそれを落としながら下っていく。平坦な斜面から急斜面に出ようとしたとき登ってくる若いプライベートガイドと濱口さんに出会う。頂上までは、もう少しなので頑張るよう話す。
 サドルでしばらく大休止するがHパーティが現れないため、後続を待たずに先に出ることとする。しばらくトラバースのルートを歩くとMさんが高度障害のせいか頭が痛い、ぼーとする、足下がふらつく等と言い出す。ガイドにアンザイレンするように求めるが、ロープワークがいまいちで滑落したら本当に止められるのか不安な感じがした。ここでHさん、Nさん、私とNさんもアンザイレンし、下るが、HさんNさんともに疲れのためかペースも上がらず、何度か転倒したため、アイゼンを付ける。しばらく行くと濱口パーティが追いついたことと、Nさんのペースが上がらないためガイドのNさんがNさんと残りのメンバーがロシア人のガイドとパーティを組むことになる。ロシア人のガイドがNさんにアンザイレンの仕方を聞いているのを見て何となく不安になり、私は確保の必要性が無いとして単独で歩くこととする。このあたりから雨が降り出したので、途中で待っているのも辛くさっさとパースコフ岩まで先に降りて待っていた。全員が降りたところで迎えに来た雪上車に乗り込みガラパシ小屋へ戻る。小屋では登頂を祝いこの日のために荷揚げしたビールで乾杯する。

エルブルースに朝日があたる リフトからアザウ氷河と氷河湖 非常に陽気な食堂の主人マリ
ーナと私
食堂の中と手伝いに来ていた
管理人の娘
チェゲット山へのリフトからのエ
ルブルース
チェゲット山へのリフト中間点の
レストランとエルブルース
花とゴングゾルム 青い花 リフトの中間点からのゴングゾルム


8月1日 ガラパシ小屋 10:30 → アザウステーション 11:45 → ホテル12:10
 今日も晴れ、ほんとに今回の山行は天気に恵まれた。朝日に映えるエルブルースや食堂の女主人のマリーナやその娘と写真を撮ったりしてリフトが動くまでの時間を過ごす。下山後は、チゲット山のリフト乗り場付近のレストランで昼食をとる。

8月2日 ホテル9:00→リフト乗場9:30→リフト終点 9:50→リフト乗場 13:30→ホテル15:00
 今日は、予備日ということで花を見たいという女性陣の要望でチゲット山へハイキングへ行く。リフトの中間地点のレストランからはエルブルースが見える。残念ながら、2台のうちの1台しかリフトが動いていないため中間地点から歩き出すが、花の写真を撮るのに時間がかかり頂上へ向かうことをあきらめる。ゴングゾルム湖が見える地点で写真を撮ったあと下山し昨日のレストランへと向かう。ところが、リフトを降りたところで登りのリフト代が不足したとの言いがかりをつけられ、料金を請求される。食事の後は、反省会のための買い出しをしてホテルへ戻る。このチゲット山へのハイキングはきれいな花もたくさんあり、時間をかけて行っても楽しめるものと思われます。

8月3日 テレスコル6:00→ミン・ボディ(SU704)12:25→モスクワ(シェレメチェボ空港)14:30/15:30 →
ロシアホテル16:30
 今日はモスクワへ戻るだけの日程だが、早朝に出発し、途中でパン、ハムと飲物の軽い朝食をとる。ミン・ボディ空港では機内持ち込みの荷物の預け入れや搭乗手続きの際非常に嫌な思いをしました。ロシアの人が全てでは無いとは思いますが、その対応の官僚的なことと東洋人に対する差別意識(韓国の団体にも係員が難癖をつけていたようだった。)にはすごくがっかりしました。それでもモスクワに着いてのホテルでの最後の山行打ち上げ会は大変盛り上がりました。
 なお、在日ロシア大使館あてに次のようなメールを送りましたが、予想どおりというか返事は来ませんでした。
『 前文は省略・・・ 1 ミンボディ空港からモスクワ(シェレメチェボ゙空港)へ向かうため、ミンボディ空港で飛行機(SU704:12時25分発モスクワ行き)へ荷物を預けた際、個人ごとに計量してくれるよう要求しても応じず、7人全員の荷物(預ける荷物と機内に持ち込む小さなバックの両方)の重さを計ったところ、入口のドアから通路に出て、重量がオーバーしたので3000ルーブルを支払うよう要求されました。そんなにオーバーしているわけはないと話したところ、2100ルーブルを支払うよう要求され、再度抗議したところ、1800ルーブル払わなければクレームタッグを渡さないような事を言われやむを得ず支払いました。領収書を要求しましたが発行はされず、その背の高い若い男性職員はそのままポケットにお金を入れ、待合室へ行きしばらくたばこを吸っていました。
 モスクワ(シェレメチェボ゙空港)からミンボディ空港(SU703)へ来たときは、エルブルース登山中に食べる食料や共同の装備も入っていたにもかかわらず、7人中4人がオーバーしましたが(個人ごとに計量したため)、合計約1000ルーブルの支払いで済み、領収書も出されました。(もっとも、「おつりを返さない」と言われたりはしましたが)。
 帰りについては、ホテルに預けた共同装備と共同の食糧及び個人ごとの食糧の分は確実に減っているため、荷物の重さがオーバーしたとしてもモスクワからミンボディに来たときよりは安いはずでした。荷物を測る部屋の外に出て、しかも領収書も出さずポケットにお金を入れる行為はどう見ても個人で取得しているとしか思えませんでした。
2 その後のミンボディ空港の搭乗手続きに際して、エルブルースの山小屋(ガラパシ小屋)のバウチャーを見せろと言われ、山小屋のためないと話したところ、小柄で丸顔の中年の男性職員にツアーリーダーが手荷物を検査する機械の右側のカーテンで仕切られた部屋に連れて行かれました。そこでは、何回か100ドルという字をテーブルに書き(すぐ消したので悪いことをしているという認識はあるのかそれとも証拠を残さないようにしているのかはわかりませんが)、100ドル支払うよう要求されましたが、支払う理由がない旨話したところ、今度は中に入った右側のドアの締まる部屋に移されました。 そこで、テーブルの上に拳銃のような物を出して、払わなければ全員のパスポートを取り上げ今日の飛行機に乗れなくすると脅されたため、ツアーリーダーはやむなくポケットにあった20ドルを出したところ、ようやく搭乗開始直前に解放され飛行機に乗ることができました。当然領収書などはありません。
 また、この間上司と思われる人物が部屋を開けて何か(時間だというようなこと?)を言っていたし、周りの職員も見て見ぬふりをしていることから全員ぐるになっての行為かとも感じられました。  
 私もこれまでアメリカ、中南米、ヨーロッパ、ネパール、タイなどを訪れました。タクシー代や土産物などでぼられたり、空港などでのトラブルもないとは言いません。
 しかし、今回初めてロシアに行き、空港の職員(公務員か準公務的職員と思われますが?)が拳銃などを示し、明らかに脅しとしか取れない態度でお金を請求する行為には憤りを禁じ得ませんでしたので今回のようなメールを差し上げました。先進国の仲間入りをする貴国が暴力で金を巻き上げることがまかり通るような国であるとは思ってもみませんでした。今後このようなことが起きないよう、徹底した調査と関係者の処分をお願いしたいと思います。回答をお待ちします。』

 今回のエルブルースは、写真を見た会のメンバーからは「雪見だいふくのような丸い山と美人のガイドと豪華な?食事」の楽しい旅行といったイメージでとらえられてしまいましたが、今年の5月には東峰から滑ろうとしたスキーヤーが滑落し死亡した例を見るまでもなく、季節や天候によっては全然違うものになったと思います。今回は永岡さんという良いガイドと天候に恵まれたおかげだと思います。残念なのは時期をもう少し早くしてスキーで滑れればもっと充実した山行になったと思うことです。最後に、2年連続の海外山行を認めてくれた職場となかなか会山行に集中できない私を応援してくれた会の仲間と単身赴任中にもかかわらず許してくれた、あきらめた?家族に感謝したいと思います。(M.K)

■概念図


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