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No.5669
大鹿沼山 886.6m三等三角点峰
山行種別 無雪期一般
おおかぬまやま 地形図

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山行期間 2017年10月10日(火)
コースタイム 松川街道野際入口(12:57)→街道分岐点(13;05)→三角点付近(13:20.13:33)→松川街道野際入口(13:50)
写真 写真は拡大して見ることが出来ます
松川街道野際入口の様子 入口の松川街道遊歩道の案内標柱 入口の石像 と案内標識
街道の様子 街道分岐点・左が松川街道 街道分岐点の古い石の導標
樹名板も付けられている 観音沼公園の案内図 観音沼の様子、後方観音山

行動記録
 南会津に出張した際、帰路に下郷町の観音沼を経由して帰ることが度々あった。その際車載ナビが大鹿沼山の三角点を中心に町道が迂回して下って来るので気になっていた三角点であった。いつか機会があったら行ってみようと思っていた。今回、単独で尾瀬まで行ってきたので、帰路途中で寄ってみようと計画した。事前の下調べで地形図を見ると、観音沼周辺から山頂を通り、下郷町の杉ノ沢まで破線の歩道記号がついている。これを調べていくと、江戸時代に開削された、松川街道の名残のようである。さらに調べると松川街道が開削される以前は、会津から田島を通って今市まで通じていた下野街道が通常のコースであった。1683年に地震が発生して山崩れが起きて現在もある五十里子湖ができ、街道が通行不能になったため、会津三代藩主である松平正容(まさかた)の命により、1695年から松川街道が開削され、大内宿、松川、杉ノ沢、野際新田、大峠、三斗小屋、矢板へ通じる街道となったらしい。
 前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。尾瀬見晴から御池まで、午前中に下山して、田島で昼食をすませて観音沼を目指す。観音沼の駐車場もあるが、街道入口の箇所にもスペースがあったのでそこに駐車する。入口部分から奥部分は、結構広い街道跡で、車の通行した跡が残っている。なだらかに登って行くと道が二股となる。二股部分に石の道標があり、左右の行く先が刻んであるが何と読むのかわからない。右の道は地形図上に記載が無い。左に進路を取ることにするが、右に行ったとして、その先に集落などは無い。どこへ通じるのだろうか不思議に思った。帰路に再度石碑を見ると、右側に明和五年と刻まれていたのを見つける。帰って調べてみると、明和五年は1768年である。開削されたのが1695年からで、開削後に設置されたものである。これ以上は分からない。
 分岐点から先は一端登り、しだいに下って行く。周辺は左側がスギ林、右側がアカマツを交えた広葉樹林であるが、スギ林が切れると広葉樹林となる。この辺からGPSとにらめっことなる。一度は三角点を過ぎてしまったようで、戻り三角点を探す。GPSのレンジサイズを段々と下げていきGPS上では三角点に達しているのだが見つからない。(参考値:国土地理院データ:北緯37°11′47.1476″東経139°54′36.3442″GPSデータ:北緯37°11′47.48″東経139°54′36.36″)周辺を何度と無く見渡すが見つからない。諦めて戻ることにする。消化不良であるが再訪するような山でもない。松川街道を杉ノ沢から観音沼まで歩いたほうが楽しいかもしれない。(S.O)

概念図
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